保育ニュース
ハンセン病療養所に保育園開園
多磨全生園、全国2例目
ハンセン病療養所に保育園
「保育園ができて、人生で実現できなかった『おばあちゃん』になれることを楽しみにしている」と話す山内きみ江さん。ベッドの枕元に置かれている人形は今も子ども代わりだ=21日、東京都東村山市青葉町の多磨全生園、竹谷俊之撮影
東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園(たまぜんしょうえん)」の中に、7月1日、保育園が開園する。国に断種や堕胎を強制され、子どもを産み育てることを許されなかった入所者にとって、日常的に子どもたちとふれあうことは念願だった。
療養所内の保育園は、今年2月に熊本県合志市の菊池恵楓(けいふう)園に開園した「かえでの森こども園」に次いで2カ所目。認可保育所ができるのは全国で初めてだ。
全生園の敷地の一角を整地し、社会福祉法人が運営する「花さき保育園」が市内の別の場所から移転してくる。
2009年施行のハンセン病問題基本法は国の隔離政策が元患者に身体的・社会的被害を与えたとして、療養所の施設や土地を開放し、地域で利用できる規定を盛り込んだ。民間への土地の貸し出しも可能になり、全生園と東村山市が保育園の設置を進めてきた。
全生園入所者自治会の佐川修会長(81)は「首を長くして待っていた」。全生園は1909年開設。約1500人いた入所者は約260人に減り、平均年齢は83歳だ。「20年後にはほとんどが亡くなり、全生園も『終焉(しゅうえん)の時』を迎える。子どもの声を聞き、自分に子どもがいたらと思いをはせながら過ごせるのはうれしい」と話す。
「結婚し、主婦にはなれても、子どもを持つことだけはできなかった」。山内きみ江さん(78)も園児との交流を待ち望む。右手の指を失うなど体が不自由。夫の死後は療養所内で暮らす。一昨年、養女が出産したが、孫のそばにいて、成長の過程を肌で感じることは難しい。
保育園ができて、「おばあちゃん」になれることを楽しみにしている。「子どもと話したり、遊んだりすれば、少しは役割ができた気がする。患者として生きてきた意味もあるのかな」
保育園には、入所者が自由に行き来できる中庭があり、ベンチも用意された。森田紅園長は「散歩に来た入所者の方に子供が集まって、自然に交流が生まれれば」と期待する。「隔離政策が間違いだと分かっていても、全生園への特別な感情は残っていると思う。保育園を通して全生園の歴史が注目され、ここを巣立った子どもが自ら発信する役割を自然と担ってくれるようになれば」という。
(北沢拓也)
2012.6.28 朝日新聞WEBより
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201206280154.html