春秋時代の人材紹介

孔子はすごい人です。

何がすごいって、春秋時代の中国の人材紹介のスペシャリストだったのです。

論語によれば、孔子は「干し肉一束を持ってきた者には、誰でも分け隔てなく教育する」と言ったとされています。
そうやって集まった門下生は3000人にも及ぶと言われています。
では、彼らが何を期待して孔子の元に集まったのかと言えば、彼らの多くは自らの「就職活動」のために集まったようなのです。
(勿論、純粋な向学心から孔子の門下を叩いた者も少なくなかったのですが)

孔子の下で学ぶと、なぜ職が得られたのかを説明しましょう。
孔子は弟子たちに、六芸と言いまして、知識人の嗜みである「礼・楽・射・御・書・数」を教育していました。

礼は、礼儀作法
楽は、琴や笙などの音楽
射は、弓術
御は、馬車を操る技術
書は、読み書き
数は、計算

孔子が生きていた当時、紀元前500年頃は、世界のどこでもまだ紙は発明されていません。
当時の中国の主な記録媒体は、木簡や竹簡という木や竹の加工品か、絹です。
木簡・竹簡は作るのが手間ですし、絹は高級品です。
故に、一般庶民は字を書いたり、記された文字を読んだりする機会が極端に少なかったのです。
識字率が低かったわけですね。
そんな当時にあって、読み書き計算ができる孔子の門下生たちは貴重な存在であり、
下級役人くらいの仕事にはすぐありつけることができました。
今で言えば、情報処理や簿記、各種パソコン検定の資格を持っているようなものだと言えるでしょう。

また、宮廷での礼儀作法や音楽が重要視されていた当時にあって、礼楽を収めた孔子の門下生たちは、為政者たちにはなくてはならない存在とさえ言えるものでした。
実務ができる上に、マナー研修まで受けていたと考えると分かりやすいでしょうか?
とにかく、孔子の門下生たちは、各国の為政者に請われて次々に仕官していったのです。

孔子の弟子たちの中でも、特に優れた77人が司馬遷の史記に紹介されています。
大臣の補佐官を務めた者や、一国の宰相にまで上り詰めた者など、正に多士済々といった顔ぶれです。
彼らの誰もが孔子の紹介によって各国に仕官したことを考えると、孔子の偉大さの一端に触れた気がします。

不幸なことに、孔子は自からが望む為政者として成功することはできませんでしたが、春秋時代における人材紹介の大家として名を成すことができたと言えるのではないでしょうか?

高崎 浅利

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