第1回保育ジャーナル 「まどか保育園」まつもと洋子先生にお話を伺いました

株式会社アスカは、東日本大震災に遭われた福島県双葉町への支援活動の一環として、東日本大震災 双葉町応援チャリティー講演会 「あの日、双葉町まどか保育園におきたこと」を2011年5月22日に開催しました。
このチャリティーイベントが開催されるきっかけとなった まどか保育園副園長 まつもと洋子先生との出会いと、震災当日の様子を伺いました。
講演会は大きな反響を呼び、多数のメディアなどにも取り上げられ、先生にも講演会のお問い合わせを多数いただきました。
現在も精力的に講演会などの活動をされています。

■この講演会の開催のきっかけを教えてください
そもそものお付き合いのきっかけは2010年の数ヶ月間、アスカさんに保育士の派遣を依頼したことからでした。産休代替で採用していた先生が産休に入ることになってしまい(笑)本当に困っていたときに、以前いただいた資料を事務職員がたまたま保存していたので、だめで元々という気持ちでお電話したんです。あの時資料を保管していなかったら...こんなお付き合いもなかったでしょうね。

震災の後、双葉町の多くの地域が避難区域に指定され、一時的に埼玉県のスーパーアリーナに避難していました。ほんの数日で戻れるのではないか?という気持ちもありましたが、まさかあれからこんなに長く園を離れることになるとは考えもしていませんでした。

私たちの家族は親戚を頼って、群馬県高崎市に移動しましたが、アスカさんは私たちのことを探してくれていたようで、偶然にもアスカさんの本社がある高崎市にいることが伝わり、お見舞いに来ていただきました。その後、本社に伺い、震災の様子や体験を加藤会長や柘植社長にお話したところ「貴重なお話を多くの人に聞いていただくべきだ」と後押ししていただき、この講演会を開催することになりました。当初はこんな大規模な講演会になるとは思ってもいませんでした。アスカさんによると、関係者や保育園関係の方の反応が予想以上に大きかったようです。私自身も、この体験を語り継ぎたい、伝えたい、という思いが強くなっていたので、初めてのことでしたがチャレンジしてみようと決心しました。


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■当日のことを覚えていますか?
3月11日は園の行事があって、みんなで歌を歌ったり、ご飯を食べたりと、いつもどおりの日常でした。3日前から、深夜の時間帯に地震が起きてはいました、今となっては予兆だったのかも知れませんが、まさかあのような大地震が起こるとは夢にも思っていませんでした。それまでの平々凡々な日常や、これまでの人生での経験を一日で超えてしまうような、長い一日でした。

私はたまたま外出していて、園から少し離れた場所で震災にあいましたが、今まで感じたことのないような 長くて大きいゆれでした。揺れが収まるのを待って動き出そうとしたんですが、なかなか収まらず、長く揺れていましたので、一刻も早く園に戻らなければと、車はとても乗れる状態ではなかったので、そのまま置いて、這うように園に向かいました。


■園はどんな状況だったのでしょうか?
園舎自体もだいぶ築年数がたっているので心配していましたが、隣接しているお寺(正福寺)の被害が大きく、本堂が傾いて「いつ園に倒れてくるか」というくらい傾いていました。鐘付堂は完全に倒潰して、倒れた墓石など色々なものが転がっていました。


■120人の園児たちを避難させることは大変困難だったと思いますが?
まず子どもたちをホールに集合させてじっとしていましたが、園舎も古く、倒潰の恐れもあると判断して、園庭に全員避難させました。庭の真ん中に全員で寄り添って揺れが収まるのを待っていたそうです。あまり広くはない園庭ですので、いつ隣の本堂が倒れてくるかハラハラしながら揺れが収まるのをまっていたそうです。その後150メートルほど高台にある小学校に園児を移動させました。園児たちは比較的落ち着いていて、大きい子が小さい子の手を引くなど、みんな協力して移動しました。パニックは特になく、落ち着いていたようです。「大丈夫」という大人の声がけに応えてくれていたようです。1000年に1度の震災になぜ、子どもたちが遭遇してしまったのか...本当にこどもたちがかわいそうです。


■その後、長期間の避難生活が続いています。現在の様子を教えてください。
今でも、双葉町に戻りたい、ばらばらになってしまった園児や職員たちと、もう一度まどか保育園に戻りたいという希望をもっています。ですが、双葉町は立ち入ることができない状態が続いています。震災の後2回だけ戻ることができましたが、次に戻る機会がいつ来るのかもわかりません。園に戻れるのか、新しい土地で新しい生活を始めるべきなのか、避難区域の被災者は先の目処がまったく立たないという点で特殊ですね。その中でも、震災時に多くの人に助けていただき子どもたちを避難させることができたこと、震災をきっかけとした出会いや人々の優しさに救われたこと、1000年に一度の出来事の中で、改めて気づいたことや学んだこともたくさんありました。その経験を無駄にしてはいけない、忘れさせてはいけないというのが今の気持ちです。


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■東日本大震災 双葉町応援チャリティー講演
「あの日、双葉町まどか保育園におきたこと」
- 3.11東日本大震災。
福島第一原発の町に唯一ある保育園の園長先生が語る -


■開催場所
高崎市総合福祉センター「たまごホール」 

■開催日
2011年5月22日

■イベント内容
福島第一原発の町に唯一ある保育園の副園長が、「あの日、双葉町まどか保育園におきたこと」と題して3月11日午後2時46分からの保育園の様子を語る。大きな津波が目と鼻の先まで押し寄せてくる恐怖の中、120人の園児たちの手を引いての避難、その後の避難所での子どもたちの様子や、保育事業者として感じた経験(子どもたちへの対応・心のケア、緊急危機対応の心得)など。


主催:株式会社アスカ
後援:高崎市/甘楽郡甘楽町/高崎商工会議所/高崎市保育協議会/株式会社 上毛新聞社/株式会社 
エフエム群馬/株式会社ラジオ高崎/パリッシュ出版株式会社協賛:株式会社未来社/株式会社オンザウェイ


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